「国際キログラム原器」が2019年5月に引退する?


先日、図書館で『新しい1キログラムの測り方』という本が目に入り、そのサブタイトルに「単位」の文字があったので、つい手にとりました。裏表紙には「『国際キログラム原器』が役目を終えようとしています」と書かれてあるではないですか。え?と思い、パラパラとめくると、単位に関するとても興味深い情報が満載でした。


目次

  1. キログラムの定義が変わる
  2. 7つの基本単位
  3. メトロロジスト
  4. パリのメートル基準
  5. 鯨尺(くじらじゃく)
  6. 城や寺
  7. 不確かさ
  8. 単位をめぐるドラマ

『新しい1キログラムの測り方』のまえがきには、3人の国際度量衡委員が金庫の扉を開けて国際キログラム原器を確認する様子が描写されています。まるでサスペンス映画の冒頭のシーンのようで引き込まれてしまいました。

臼田孝著『新しい1キログラムの測り方 科学が進めば単位が変わる』(ブルーバックス、2018)


新しい1キログラムの測り方 科学が進めば単位が変わる (ブルーバックス):Amazon.co.jp

長さを表すメートルや重さ(質量)を表すキログラム、時間を表す秒などの単位には、日常生活で慣れ親しんでいます。普段はその根拠というか、なぜその長さが1メートルなのか、誰がどう決めたのか、などはあまり意識しません。また、1リットル(または10センチ×10センチ×10センチの立方体)の水の重さが1キログラムである、とはるか昔に学校で聞いた知識で、日常生活はなんとかなっています。

しかし、そんな大雑把なことでは、火星に探査機を着陸させたり、薬を正確に調合させることはできないのですが、そこで必要とされている重さの計測は、コーヒー豆や肉を重さで買うときとまったく同じ単位に基づいているのです。そのことを『新しい1キログラムの測り方』であらためて認識させられました。

メートル法の重さの基準は、130年前に当時の先端技術で作られた「国際キログラム原器」という円柱状の金属の塊です。キログラム原器の重さを1kgとして、さまざまな計測器が作られ、重さが計測されています。その国際キログラム原器が2019年5月に役目を終える、というのです。

物理、化学、数学分野については明るいとは言い難く、間違いを書くといけないので、興味を持った方は本を読んでいただくとして、印象深かったことや本をきっかけに頭に浮かんだことなどを思いつくまま連ねます。(裏返せば、浅学の暴露ということになりますが)

1. キログラムの定義が変わる

たとえば長さの単位メートルは、当初は地球の北極点から赤道までの距離をもとに定義されましたが、現在では、ある一定の時間に光が真空中を伝わる距離を基準にしています。

それぞれの基本単位が、科学技術や計測技術などの進歩にともなって定義が改定されてきました。そして、人工物を基準にしている基本単位はキログラムだけになっていたのです。

いかに精緻に作られ、厳正に管理されていても人工物には極小の変動が生じるため、環境の影響などを受けない物理定数に基づいた定義に変えようということで、長年研究がおこなわれてきました。

そして、キログラムの新しい定義が決まり、2019年5月20日から新定義に移行することになりました。これにより、約130年間使われてきた「国際キログラム原器」も廃止されることになります。

キログラムの定義[1]
国際キログラム原器の質量に等しい。
単位s¹·m²·kg(J·sに等しい)による表現で、プランク定数ℎの数値を 6.62607015×10−34 と定めることによって設定される。

プランク定数とはなんでしょうか。

エネルギーは連続的な値をとると考えられていましたが、それまでの理論では説明できない現象が発見されました。そこで、エネルギーは段階的に増加する、という仮説を立てて説明したのが、ドイツの物理学者マックス・プランクです。光のエネルギーは、最も小さい単位(量子)の整数倍の値しかとらない、という理論です。それを説明する公式で使われている定数がプランク定数と呼ばれています。

量子とか光子とか出てくると、頭の中に霧がかかってくるのですが、いずれにせよ、これで7つの基本単位のすべての基準の定義が、量子物理学などの科学的根拠に基づいたものになるということです。金属の塊やローソクの光、地上の2点の距離など、メートル法の初期にはあった、実際に触ったり見たり、直感的にわかるものはなくなるわけです。

ただし、定義が変わっても日常生活にはまったく何の影響もありません。肉の100グラムの量が以前より減る、などというようなことは心配ないようです。極めて高い精度の質量の測定が必要な分野で、その精度が上がることで、これまでにない研究実験や製造などでの成果が期待されています。

写真は国際キログラム原器のレプリカです。

【画像の引用元】Wikimedia Commons contributors, “File:Prototype kilogram replica.JPG,” Wikimedia Commons, the free media repository, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?title=File:Prototype_kilogram_replica.JPG&oldid=257259098 (accessed January 22, 2019).


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2. 7つの基本単位

国際単位系(SI)では以下の7つが基本単位と定義されています。

基本単位の名称記号物理量
メートル(metre)m長さ
キログラム(kilogram)kg質量
秒(second)s時間
アンペア(ampere)A電流
ケルビン(kelvin)K熱力学温度
モル(mole)mol物質量
カンデラ(candela)cd光度

この7つの基本単位以外の量は、基本単位を組み合わせたSI組立単位を使います。

例えば体積は、長さの基本単位「m」の三乗で表し、密度は重さの単位「kg」と長さの単位「m」の組み合わせます。

SI組立単位では単位の意味がすぐに把握できない場合は、それぞれの単位を表す固有の記号、または固有の記号と基本単位の組み合わせで表現することもできます。

SI組立単位の名称記号SI組立単位
立方メートル体積
キログラム毎立方メートルkg/m³密度
ヘルツHzs³周波数
ニュートンNm·kg·s²
ボルトVm²·kg·s³·A¹電位差(電圧)
ジュール毎ケルビンJ/Km²·kg·s²·K¹熱容量・エントロピー
クーロン毎立方メートルC/m³m³·s·A電荷密度


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3. メトロロジスト

著者は、独立行政法人産業技術総合研究所 計量標準総合センター長の臼田孝博士です。現在、国際度量衡委員でもあり、2010年には招聘研究員として国際度量衡局(BIPM)に在籍していたこともあるそうです。

国際度量衡局に日本人が貢献しているということは、スペイン、バルセロナのサグラダファミリアの主任彫刻家が日本人だと知ったときと同じくらいに驚きでした。日本人には遠い世界だと勝手に思い込んでいたのですね。

独立行政法人 産業技術総合研究所の研究職員募集パンフには、メトロロジストとは「計量標準 (Metrology)の研究者、専門家のこと」だとあります。

ところで、メトロロジー(metrology)という学問があることを認識していませんでした。
計量学、度量衡学、などと分野によって日本語はいくつかに分かれているようです。この学問の専門家をメトロロジスト(metrologist)と呼ぶのです。


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4. パリのメートル基準

地域や業界によってバラバラだった単位を、世界中の人が使えるように統一しよう、とフランス革命後の1790年に国民議会で提案が出されました。そこで物理的な根拠に基づいて単位を定義することが決まりました。

フランス北部のダンケルクからフランスのバルセロナまでを実測し、それに基づいて北極点から赤道までの距離を算出して、その1千万分の1の長さを1メートルと定義しました。

その新しい単位を普及させるために、大理石の「メートル原器」が作られ、建物の外壁に埋め込まれるなどして、パリ市中の人通りの多い場所に設置されました。16ヵ所にあったうちの2つが現存しているそうです。啓蒙普及のために、誰でもが1メートルの長さを確認できるように、街頭に原器を設置した、というのがおもしろいです。

啓蒙のためにパリ市街に設置されたメートル原器。

【画像の引用元】Wikimedia Commons contributors, “File:Mètre-étalon Paris.JPG,” Wikimedia Commons, the free media repository, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?title=File:M%C3%A8tre-%C3%A9talon_Paris.JPG&oldid=332136314 (accessed January 22, 2019).


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5. 鯨尺(くじらじゃく)

本を読んでいて、「鯨尺」という言葉と、故永六輔(えいろくすけ)氏のことを思い出しました。

尺に合わない、一寸先は闇、百貫デブ、などの慣用句に残っていますが、メートル法が現在のように浸透するまでは、日本では尺貫法が使われていました。

日本は1886年(明治19年)にメートル条約に加盟し、国際メートル原器の複製と国際キログラム原器の複製の配布を受けました。それぞれ日本国メートル原器(No.22)、日本国キログラム原器(No.6)として国内におけるメートル法の基準となります。

しかし、長年に渡って親しまれて生活の隅々まで浸透した単位を簡単に切り替えることはできず、尺貫法はメートル法と並行して使われていました。尺貫法の使用が法的に一部を除き廃止されたのが1959年(昭和34年)からです。完全廃止は1966年(昭和41年)末でした。メートル条約加盟からずいぶん時間がかかりました。

ところで、尺貫法が禁止されると、大工さんの使う「曲尺(かねじゃく)」を売ったり、「鯨尺」で着物を仕立てても逮捕され、1年以下の懲役または百万円以下の罰金」が課せられるという状況になりました。

困ったのが大工さんや職人さんたちです。警察に呼び出された知人の指物師(さしものし)に相談を受けた永六輔氏は、義憤を感じて「尺貫法復権運動」を起こしました。そのおかげで、現在も法律的には認められていませんが、処罰はなくなり、尺貫法の使用が黙認されるようになったのです。

【参考サイト】
着物のよろず 針箱、『鯨尺で仕立てると犯罪だったかも…の話』 (2019-1-22)
KENSO BLOG、『永六輔と尺貫法』 (2019-1-22)


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6. 城や寺

城や寺社、五重塔など歴史的な建造物は、当然ながらメートル法以外の単位に基づいて建築されたわけです。もちろん、メートル法で測定することはできるわけですが、現在とはまったく異なる単位に基づいて構築されたのだと思うと感慨深いです。

何十年、何百年前のひとびとの暮らしの隅々まで、メートル法とは異なる単位で成り立っていたというのは、現代から見ると、別のことばで社会がなりたっている外国のようです。

また、おかしなたとえですが、見た目は同じだけども、まったく異なる細胞組織を持つ地球人と宇宙人のことを想像したりします。

しかし、尺に基づいて作ろうが、メートルに基づいて作ろうが、できあがった物自体は唯一のものなので、測定する単位に合わせて伸び縮みするわけではありませんが。


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7. 不確かさ

『新しい1キログラムの測り方』の中で、「不確かさ(uncertainty)」という考え方が紹介されていました。

長さであれ重さであれ何かを計測するときは、できるだけ正確な値を求める、というのがその目的です。計測技術や計測精度を上げていけば、いずれは真の値(true value)にたどり着くだろうという考え方です。

ところが、メトロロジーの世界では、「真の値は知り得ない」ということを前提にしている、というのです。真の値に近いであろう「推定値」しか得られないと。

ある量を測定したときに、つねに同一の値を示すとは限りません。繰り返して測定すると、値にばらつきが生じます。ばらつきの要因を分析して、測定値と考え合わせることで、不確かさの度合いをどんどん小さくしていけば、それだけ真の値に近づけるということです。

測定値の信頼性を表すことばとして、「誤差」「精度」などが使われていましたが、分野や国によって定義がさまざまだったために、1990年代に新たに定義されました。

新しいキログラムの定義では、10億分の13の不確かさ(13 × 10-9)で測定できるようになったそうです。


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8. 単位をめぐるドラマ

当サイト「SpecAid:世界標準のスペック英語」は、商品仕様を英語でどのように表記するのが適切なのか、を自分なりに整理して共有しよう、ということを意図しています。

たとえば、数値と単位(または単位記号)との間にスペースを入れるのか入れないのか、とか、記号は大文字にするのが正しいのか、小文字がいいのか、といったようなことです。

ただ、スペックを対象としているので、当然ながら単位についても比較的多く扱っています。しかし、表記については意識を向けていても、単位そのものが意味することは、ぼんやりと、あるいは機械的にしか認識していませんでした。

臼田孝氏の著書のおかげで、単位というものが多くの人々の創意と工夫によって維持されていることがわかりました。スペックの編集作業をおこなうときに、単位記号は意味のわからない無味乾燥なものに思えますが、歴史や背景を少しでも知ると、単位が温かみのあるものに思えてきます。

『新しい1キログラムの測り方』を読むと、多少なりともスペック編集の苦痛(?)がやわらぐかもしれません。


[1]
【参考】キログラムの定義が変わる、そのとき何が起こるのか?(臼田 孝) | ブルーバックス | 講談社(1/2)

お読みいただきありがとうございます。気が向いたらまた遊びに来てください。

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